心臓カテーテルに関わらず、近年の「カテーテル」技術の発展は目を見張るものがあります。
『カテーテル治療』は脳、心臓、泌尿器、消火器など様々な領域で使用されていますが、”カテーテル”と聞くと、大半の方が心臓カテーテルを最初に浮かべるでしょう。
もしくは、もう少し広義に「血管カテーテル」でしょうか。
今回は、私Moegiの得意とする循環器領域であるPCIのステントに話を繋げるため、カテーテル治療の歴史ついて話をしたいと思います。
Moegi
- 取得資格
-
臨床工学技士(CE)、ITE 心血管インターベンション技師、ME1種検定試験
- 得意領域
-
カテーテル、アフェレシス、内視鏡、機器管理など
大学病院での幅広い勤務実績をもとに、臨床工学技士業務全般執筆しております。
カテーテルが普及しているわけ
記事の導入として、カテーテルがなぜ昨今これほどまでに普及することになったのかについて触れていきましょう。
まず注目したいのは「日本人の死因について」です。
日本人の死因の構成
日本の人口動態における統計データについては、執筆・および記事公開時の最新データが2022年のものですのでそちらを参照しますと、日本人全年齢での死因ランキングは
- 1位:悪性新生物(腫瘍)
- 2位:心疾患
- 3位:老衰
- 4位:脳血管疾患
- 5位:肺炎
となっており、1位の悪性腫瘍に次いで心疾患による死亡は死因第2位となっております。
また同じくカテーテル治療が普及している脳血管疾患も死因第4位を占めており、カテーテル治療の実需は計り知れないものだと推測されます。
令和4年(2022) 人口動態統計月報年計(概数)の概況
心疾患の死因を深掘り
このうち、死因第2位の心疾患について取り上げます。
心疾患を原因とする死亡者数は令和4年度で232,879人、令和3年度で214,710人とされています。
循環器疾患死因内訳:「厚生労働省 令和4年(2022) 人口動態統計月報年計(概数)の概況」(改変)
心疾患の中で最も死亡者数が多い心不全が全体に占める割合は令和4年度の時点で全体の約42%ですが、心不全を除く急性心筋梗塞や虚血性心疾患も全体の約31%となかなかの数を占めております。
つまりはカテーテルによる治療介入の余地がある病態ですね。
カテーテルの歴史
先ほど述べたように現代の死因の多くがカテーテル治療が介入できる余地がある病態といった事をお伝えしました。
ではカテーテル治療はこれまでどのような歴史を歩んできたのでしょうか。歴史的背景から深掘りしていきます。
古代ローマ時代からカテーテル治療は存在した!?
本記事の話の中心は心臓カテーテルですが、まずはカテーテル治療そのものの歴史から説明しますと、カテーテル治療はなんと約2000年前の古代ローマ時代から存在しているようなのです。
古代ローマ遺跡より青銅製のカテーテルが発掘されているようです。
同時代のミイラに腎結石や膀胱結石の治療痕が確認されているため、おそらく泌尿器系の治療に使用されていたのではないかと考えられています。
古代ローマ時代の青銅製のカテーテル:「知」のビジュアル百貨 古代ローマ入門
当然、当時の技術力のこともあり、青銅製のカテーテルの太さは直径17mm(約52Fr)ですので、一体どのように使用していたのでしょうか。
内視鏡のブジーで51Frを使用しますが、想像するだけで悍ましい・・・。
最初に血管カテーテルを実施したのは?
18世紀前半にヨーロッパにおいて、心臓や血圧の仕組みに注目が集まりました。
イギリスにスティーヴン・ヘールズという牧師(本職)が、1720年や1733年など諸説ありますが、馬の頸動脈に管を挿入して血圧を測定したという記録が残っています。
この時に使用された管というのが・・・なんとガチョウの気管ということだそうです。
この馬の血圧を測定した実験こそが、動物の血管へカテーテルを初めて入れた第一号なのです。
余談ですが、このスティーヴン・ヘールズ先生は、動物の動脈圧と静脈圧の直接測定に初めて成功したり、理科の実験で使用している手法の水上置換法を発明した人物でもあります。
カテーテルが心臓に到達したのはいつ?
1844年にフランスのクロード・ベルナール先生が心臓の温度を確かめたく、長い水銀温度計を馬の頸動脈から心臓へ挿入させることに成功しました。
この実験が動物の心臓へカテーテルが入った瞬間であり、世界初の心臓カテーテルの実施と呼ばれています。
ヒトへの心臓カテーテル実施へ
ここまでは馬など動物への実験における心臓カテーテルでしたが、ヒトへの最初のカテーテルは一体いつ実施されたのでしょうか。
1929年にドイツの研修医ヴェルナー・フォルスマ先生が「馬の血管から心臓にチューブを挿入して血圧を測定した記録」を医学書で発見したのですが、これを「生きた人間で試したい」と思い立ったようです。
すると手術室で自身の左肘静脈から尿管カテーテルを挿入し、心臓まで到達させたというのです。
しかも、そのまま地下のレントゲン室で胸部レントゲンを撮像し、記録に残したのです。
チューブ先端は見事に右心房に到達していたのです。
そして同時期に同じような実験をしている人物がいたようですが、カテーテルが心臓に達しているレントゲンに記録したのはヴェルナー・フォルスマン先生のみでした。
世界初ヒトへの心臓カテーテル:テルモ株式会社HP
当時は心臓というのは「命を司る神聖なモノ」とされており、その心臓にカテーテルを入れる行為は倫理的な反感を受けるものでした。
その後アメリカでヴェルナー・フォルスマン先生の実験を応用して心内血液の採取に成功し、1956年に「心臓カテーテルの生みの親」としてノーベル賞を授与されることとなりました。
偶然の産物、CAG(冠動脈造影)の発明
アメリカのメイソン・ソーンズ先生は、弁膜症患者の大動脈造影のためにカテーテルから造影剤を注入したのですが、カテ先端がずれてしまい偶然にも冠動脈入口部へ入り、冠動脈が描出されたのです。
当時は冠動脈内に直接造影剤を注入するち心停止すると考えられていたのですが、実際には一瞬心拍が乱れたものの患者には特に症状は認められなかったようです。
この出来事により、「このレントゲン画像があれば、どこに心筋梗塞が生じているかが観察でき、これまで不可能だった心筋梗塞の手術ができる」と考え、血管造影装置を開発したのです。
これが1958年の出来事です。
CAGが発明されたことにより、心臓血管医学が一変されたのです。
メイソン・ソーンズ先生による初のRCA CAG:テルモ株式会社HP
世界初の血管内治療(PTA, EVT)― dottering法 ―
1964年、アメリカのチャールズ・ドッター先生はASOによって足が壊死しかけた患者の左下肢に対して世界初の血管内治療を成功させました。
閉塞部にガイドワイヤを通過させ、カテーテルを閉塞部に押し拡げて病変部を開通させる手法です。
内視鏡で言うブジーですね。
後にステント留置の原点とも言えるコイルスプリング留置法を考案しています。
世界初のPTA:テルモ株式会社HP
冠動脈治療に革命が起きるPTCA ― POBA ―
1977年、ドイツのアンドレアス・グリュンツィッヒ先生がヒトの冠動脈に対してバルーンによる冠動脈拡張術の臨床試験に成功しました。
dottering法では治療できない治療で、カテーテル先端にバルーンで押し拡げればどうか?という考えからバルーンを考案されたようです。
素材選びに苦労したようですが、最初は塩化ビニルとナイロンを組み合わせたバルーンを発明したようです。
数年後の1981年には、OTW(Over The Wire)カテーテル(double lumen catheter)が発案され、当時は画期的だったようです。
バルーンは特許を取得し、PCIは世界中で瞬く間に広がり、アンドレアス・グリュンツィッヒ先生は裕福となったのですが、若くして事故で亡くなられてしまったのです。
当初のPCIは経皮的冠動脈形成術(PTCA:Percutaneous Ttransluminal Coronary Angioplasty)または経皮的バルーン血管形成術(POBA:Plain Old Balloon Angioplasty)と呼ばれていました。
POBAの目的は、プラークの圧縮と血管内膜-中膜の鈍的裂開です。
しかし、当初は様々な問題がありました。後述します。
【カテーテル関係者の呪われた年】
余談ですが、アンドレアス・グリュンツィッヒ先生が亡くなられたのは1985年なのですが、同年にカテーテル関係者が次々に亡くなられてしまうのです。
メイソン・ソーンズ先生(初のCAG)
チャールズ・ドッター先生(初の血管内治療)
メルビン・ジャドキンス先生(ジャドキンスカテーテルの生みの親)
・・・などといったカテーテル界では偉大なる先生方です。
ついにステント(BMS)が登場!!
POBAのみでは再狭窄や血栓閉塞を生じてしまい、POBAのみの時代が終わります。
coronary用stentの考案者はチャールズ・ドッター先生です。
そして、様々なstentが開発され、臨床実験が実施され、1986年ついにJohnson & Johnson社がPalmaz-Schatz stent(パルマス シャッツ)を発売します。
Palmaz-Schatz stentは1991年に下肢動脈への使用がFDA承認を獲得、1993年に日本でのcoronaryへ臨床使用認可が下り、1994年にcoronaryへの使用についてFDAで認可が下りました。
・・・Palmaz-Schatz stentのcoronaryへの使用は、日本の方が早かったのですね。
当初はもちろんPalmaz-Schatz stentを含め、BMS(Bare Metal Stent)が世界中で一気に使用され、1990年代はBMSの時代となります。
しかし、BMSは遠隔期のステント内再狭窄が問題となり、新たなステントが開発され始めるのです。
ちなみにですが、私はPalmaz-Schatz stentが留置されたf/u CAG患者をこの目で見ました。
先生も「Palmaz-Schatz入ってるの!?」って少し興奮気味にされていました。
イギリス ロンドンの歯科医師であるCharles Stent(チャールズ・ステント)先生が歯科用の器具の商標に自身の「STENT」を名付けたことが”ステント”の名前の由来だそうです。
そして、DESの時代へ
BMSのステント内再狭窄を克服するために薬剤溶出性ステント(DES:Drug Eluting Stent)が開発され、1999年にまたもやJohnson & Johnson社が最初のDESであるCypherを販売したのです。
Cypher登場時は世界中で一世を風靡していたstentでしたが、残念ながらステント破断とその合併症などが問題となり販売中止となってしまいました。
今となってはPCIには無くてはならないDESですが、2000年代からはBMSからDESへ移行する時代となりました。
なお、日本でのDESの使用は2004年からとなっております。
・・・ここまでがカテーテル治療の始まりからDESが登場するまでの歴史の話でした。
さて、今更ですが「カテーテル」はドイツ語「Katheter」です。
「Catheter」は英語なのですが読み方は表記するならば「キャサター【発音:kǽθətər】」です。
日本での年間PCI件数は?
現在日本において年間で、待機的PCI(Elective PCI)は約18万症例、緊急PCI(Emergency PCI)は約8万症例の合計約26万症例が実施されているようです。
皆さんは「PCI=ステント留置」という認識を持っていらっしゃる方が多いかと思われますが、実際にステントを留置しているPCIは20万症例程度で、5万症例程度はPOBAのみ、残りは血栓吸引デバイスなどで血流を得て終了しているものと思われます。
当然ながら現在ステント留置20万件の内、95%以上はDESですが、数千件はBMSが使われているようです。
全てのPCIでステントが使用されているわけではないということを念頭に置いてください。
ステント留置の意義とは
詳しくは別記事で説明しますが、coronaryの治療でステントを留置する理由は急性冠閉塞予防と病変部再狭窄の予防のためです。
急性冠閉塞はPOBAによって血管に裂開を生じたことによる血流の低下や血栓形成によるcoronaryの閉塞です。
閉塞までいかなくとも、POBAだけでは6ヶ月までの再狭窄率が40%以上だったのもステント留置で再狭窄を低下させることができました。
といってもBMS時代では6ヶ月再狭窄率は30%程度はあったのですが・・・。
さいごに
本記事では、カテーテル治療におけるDESが登場するまでの歴史についての話をしました。
最近では、TAVIやMitraClip、TPVI、WatchManなどカテーテルで治療できることが増えてきました。
今後さらに様々な治療デバイスが登場することを期待しています。
次回の記事では、本記事ではさらっと流した、POBA/BMS/DESについて掘り下げていきたいと考えています。
コメント